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いわき簡易裁判所 昭和42年(ろ)77号 判決

被告人 箱崎征夫

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実の要旨は、

被告人は、いわき市小名浜所在日本水素工業株式会社小名浜工場に勤務する会社員で運転免許を受有し通勤用として自動二輪車を運転している者なるところ、昭和四一年七月一二日午前七時五〇分頃、いわき市小名浜大原字境田一二〇番地の四附近道路において、前記自車を時速約四〇粁で運転し、道路の左側により南進中、前方交通整理の行われていない見とおしの困難な十字路の交差点の手前にさしかかつた際、前方道路の左側を先行する鈴木誠(当一六年)の運転する足踏二輪自転車を前方約一八米で認めたが、かかる場合減速徐行すると共に右交差点内で右先行車を追越す状態にあつたから警音器を鳴らして之に警告を与え且つ右先行車の動静を注視すべき業務上の注意義務があるのに不注意にもこれを怠り時速約三五粁に減速したのみで前記交差点を直進しようとした過失により、折柄右先行軍が右交差点を右折しようとするのを約三米先で発見し驚いて急停車の措置をとると共に右に転把したが間に合わず右先行車の前面部に自車の前面部を接触せしめて倒し、よつて前記鈴木誠に対し加療約一週間を要する頭部打撲傷の傷害を負わせたものである。

というのである。

二、本件各証拠によれば、被告人は昭和三五年八月二九日原付免許を取得し、昭和三七年一〇月三一日普通免許および二輪免許を取得し、いわき市小名浜所在日本水素工業株式会社小名浜工場に勤務する会社員で通勤用として自動二輪車を運転していたこと、昭和四一年七月一二日午前七時五〇分ころ、自動二輪車(磐城市一〇一七号、総排気量九〇cc)を運転し、市道大原隼人線を隼人方面に向つて南進中、同市小名浜大原字境西一二〇番地の四先交差点において、自車を鈴木誠(事故当時一六年)の運転する足踏二輪自転車に接触させ、その結果同人がその場に転倒し、全治約一週間を要する頭部打撲の傷害を負つたことが認められる。

三、証人鈴木誠に対する当裁判所の尋問調書<中略>を綜合すると次の各事実が認められる。

(イ)  本件事故現場は幅員約八、五米(内舗装部分の幅員約七米)の南北に通ずる市道大原隼人線の舗装道路と幅員約七米ないし八、五米の東西に通ずる非舗装道路とが十字に交差する交差点であり、北方よりの右交差点の左右の見とおしは悪く、自動信号機等の設置もされていないこと、市道大原隼人線は現在四〇粁の速度制限が行なわれているが、事故当時はかかる制限はなかつたこと、現在右の東西に通ずる非舗装道路の交差点の側端の手前に一時停止の道路標識が設置されているが、事故当時に右標識があつたかどうかははつきりしないこと、市道大原隼人線は交通がかなり頻繁な道路であること、

(ロ)  事故当日の天候は雨が降つたりやんだりで事故当時は道路はぬれていたこと、事故当時現場交差点は交通整理は行なわれていなかつたこと、事故当時現場附近に対向車はなかつたこと、

(ハ)  被告人は市道大原隼人線を時速約三五粁で南進中、右交差点の手前約三十数米の地点で前方約一八米に鈴木誠の足踏二輪自転車(以下自転車ということがある。)を発見したこと、

(ニ)  被告人は道路中央線から約〇、八米ないし一米左に寄つて進行し、鈴木は道路舗装部分の左端から約〇、七米ないし一米右に寄つて先行し、交差点附近において被告人が鈴木を追い抜くような態勢であつたが、その際の車間間隔(同車が併進した場合の左右の間隔)は約二米とみられること、

(ホ)  鈴木誠は高校生で当時登校の途中であること、

(ヘ)  自転車には右側ハンドル部分に後写鏡が設置されていたこと、

(ト)  鈴木は右折する前に右折の合図をせず、後方確認もせず、その他右折、進路変更等を推測させるような行動、態度を何らとることなく、交差点の手前の側端附近で突如として右斜め前方に向つて右折をはじめたこと、

(チ)  被告人は自転車との距離約三米後方でこれをみて衝突の危険を感じ直ちに急制動を施すと同時に右にハンドルをきつたが間に合わず、交差点の中央よりもやや北寄りの地点で自転車の前輪泥よけ附近に自車の前輪部分を接触させ、その結果鈴木はその場に転倒し前記傷害を負い、被告人もその場に転倒し、顔面両手、膝などに一〇日間の通院加療を要する程度の傷害を負つたこと、

(リ)  被告人は鈴木の態度、挙動から鈴木が交差点を直進するものと信じていたこと、

(ヌ)  被告人は現場にさしかかる手前で減速、徐行をせず、警音器の吹鳴もしなかつたこと、

前記証拠中右認定に反する部分は措信しない。

四、そこで検察官主張の過失の有無について考えてみると、

(一)  先ず被告人が自転車の動静を注視する義務を怠つたとの点についてはこれを認めるに足りる証拠はない。むしろ、被告人の当公判廷における供述によると被告人は自転車の動静を注視していたことがみとめられる。もつとも被告人の司法警察員に対する供述調書中には被告人が交差点にさしかかる前、少しの間右交差点の右側(西側)道路方面の交通を確かめるために該方向に注意をうつし該方向からの交通が全然ないので安心して前を見たら云々という供述記載があるが、被告人の当公判廷における供述および前記供述の内容に徴すると、前記供述の趣旨は交差点に入る前に他の道路からの交通にも一瞬気を配つたに過ぎないことを述べたものと解され、かかる注意をすることは自動車運転者としての当然のことであるから、右供述記載をもつて被告人が自転車の動静を注視していなかつたとすることはできない。

(二)  次に被告人が警音器を鳴らさなかつたことは確かであるが、この場合警音器を吹鳴する義務があるかどうかについてみるに、現場は公安委員会によつて指定された警音器を吹鳴すべき場所ではなく(道路交通法第五四条第一項参照)、また同条第二項但書の「危険を防止するためやむを得ないとき」というのは単に安全確保という消極的な理由にすぎない場合ではなくて、危険が現実、具体的に認められるような状況下でその危険を防止するためやむを得ないときというほどの意味であるが、本件におけるように単に交差点附近で先行自転車に接近しこれを追い抜く場合に、状況の如何を問わず常に必ず警音器を吹鳴すべき義務ありとは右法の趣旨からみて到底考ええないのであり、更に具体的諸事情を考慮し、そのような状況のもとで危険が具体的に認められる場合にのみ警音器吹鳴義務があるものと考えるべきところ、本件においては、自転車に乗車していた鈴木は高校生であり、自転車には後写鏡も設置され、本件の道路の交通はかなり頻繁であること、しかし鈴木は後方を見るとか右折の合図をするなど進路変更、右折などのきざしを何らみせることなく交差点の手前側端附近まで直進していたこと、被告人は自転車との車間間隔を約二米置いて進行しており、当時反対方向からの交通もなかつたから交差点附近で追い抜く場合にもこの車間間隔を保つことができたと推測できることなどの事情に鑑み、警音器を吹鳴すべき危険な状況であつたとは認めがたく、本件の具体的場合においては、自動車運転者として警音器を吹鳴すべき義務は存しないものと考えられる。

もちろん被告人が危険を感じなくても予防的措置として警音器を吹鳴していれば、或いは鈴木も被告人の接近に気づき事故を避けえたかもしれない。けれども前述のとおり本件の具体的事実関係のもとにおいて警音器吹鳴の注意義務が客観的に認められないから、鈴木の傷害の結果を被告人に帰せしめることができないのは当然である。

(三)  次に被告人は事故当時時速約三五粁の速度で事故現場附近にさしかかつたものであつて減速徐行していない(徐行とは車輛等が直ちに停止することができるような速度で進行することをいう。道路交通法第二条第二〇号。)ことは明らかであるが、本件の場合、減速徐行する注意義務があるか否かについて考える。

検察官は減速徐行義務の根拠として道路交通法第四二条と同法第七〇条をあげている。(第四回公判調書。)

自動車運転者は道路、交通等の状況に応じ他人に危害をおよぼさないような速度と方法で運転しなければならない(同法第七〇条)から、先行自転車に接近し、これを追い抜くような場合にも具体的状況に応じ適宜速度を調整し、場合によつては減速徐行すべき場合もないではないが、本件においては、前記(二)記載の具体的状況のもとで、且つ前記認定のように被告人は自転車の動静を十分注視して進行していたこと、その他道路、交通の状況などを併せ考えると、被告人が減速、徐行をしなかつたことをもつて安全運転義務に違反するものとは断じえない。

また同法第四二条による交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点においては徐行をしなければならず、本件現場の交差点がこれに該当することは明らかであり、被告人は徐行をしていないからその意味で右法条違反の行為があるとしても、右法条の趣旨はかかる交差点におけるいわゆる出合い頭の衝突を避けるために徐行義務を規定したものとみられるのであり、かかる趣旨に照らし、右法規から本件事故についての注意義務を導きだすことはできないものといわねばならず、結局右違反は本件事故に関する注意義務とは法律的には無関係であり従つて右法規違反をもつて本件事故についての注意義務違反とすることはできない。

そして他に本件において、減速徐行すべき注意義務を認める根拠はみあたらないから、この点に関する検察官の主張も理由がない。

五、道路交通法によると自転車が右折する場合には右折の合図をしなければならず(法第五三条、道路交通法施行令第二一条)、あらかじめその前からできる限り道路の左側に寄り、かつ交差点の側端に沿つて徐行しなければならない(法第三四条第三項)のにかかわらず、鈴木は右交通法規を無視し、交差点の手前の側端附近から突如として、後方確認することもなく、右折の合図、右折を推測させる挙動等をとることなく、右斜め前方に進路をとつて右折を開始するという無謀な行動に出たのであり、これが本件事故の原因であるとみるのが相当である。

六、よつて本件は結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をするものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 岡崎彰夫)

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